時間ができたので「FUJI TEXTILE WEEK」へ出かけてきた。
千年以上続く機織りの歴史をもつ富士吉田。
耕作に適さない土地のため、養蚕が盛んになり、織物の町として発展していく。
全国各地から繭が集められ、富士山の噴火で出来た溶岩洞穴で保管されたりもした。
最盛期は頻繁に市も開かれ、全国各地から商人が集まり賑わった。
市場の西側は「西裏」と呼ばれ、歓楽街とし栄えていった。
基幹産業は養蚕と機織りで女性が中心となり、男達は行商にでるようになる。
帰ってきた男達は機を織る女性の手を止めないようにと炊事を受け持った。
こうして男性の強い力で打った太くてゴツゴツした武骨なうどんが生まれる。
やがて昼時だけ民家を開放して全国から来た商人や富士参詣者に提供し始め、「吉田のうどん」として名物となっていく。
しかし昭和も後期になると、他の多数の産業と同じように海外からの安価な製品が入ってくることで衰退していった。
その後、生産量調整のための織機共同廃棄事業により、町の約4割の織機が破壊された。
そんな苦難を経て今、新たな世代の人達が従来とは違う視点から富士吉田の織物に焦点を当てて「ハタオリマチ」を復活をさせている。
新しい「何か」を取り入れながら千年以上続く技術と伝統は今日も紡がれていく。
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気嵐
連日気嵐が起きています。
西湖の秋の風物詩です。
水温と気温の差が10度を超える風のない朝に発生しやすくなります。
ここから一ヶ月くらいは幻想的な朝霧に包まれた湖が見られる可能性が高くなります。
扇状地と桑の実
桑の実のジャムを作りました。
今年は一気に暑くなったせいか、どんどん実が乾燥したり、早く落ちたりしていました。
慌てて収穫してジャムにしました。
ここ「くわるび浜」は扇状地になっています。
扇状地は果樹園に適しているといわれ、甲府盆地などは今は桃畑になっています。
しかし桃の栽培の歴史は浅く、それ以前の扇状地の利用といえば専ら桑畑でした。
桑畑ということは養蚕です。
ちなみに「くわるび浜」を漢字で書くと「桑留尾浜」となります。
さらには富士山の火山活動で出来た溶岩洞穴は繭玉の保存に適し、各地から繭玉が集まってくるようになります。
そして富士吉田が織物の町として栄えていきました。
水の中の世界
いつも遊んでいる湖の、その中の世界はどうなっているのだろう。
今日はくわるび浜から大ジラまで。
生きること
産卵を終えて岸に打ち上げらたワカサギを、キャンプに来た子供たちが拾って振り回していた。
ああ、これは本能なんだなと思った。
生き物だから、食べ物だから、かわいそうだから、汚いから遊んではいけないというのはきっと大人になるにつれて形作られていったことで、生き物として本来の姿はこちらではないだろうか。
猫も本能で小動物を捕まえ遊ぶ。
それが狩りの練習となっていたりする。
生きるということはそもそもが残酷なことなのかもしれない。
今日も他者の命をいただきながら生きていく。
霧と桜
暖かい日が続いたかと思うと小雨が降り、また冷え込みました。
今日も気温はさほど上がらず、霧に包まれた日となりました。
桜は見頃を迎えています。
一夜明けて
一夜明け綺麗な青空が広がりました。
雪かきから一日が始まります。
雪をかいたあとには鳥達が集まってきます。
雪の下の大地には鳥達の餌となるものがあるのでしょう。
一段落したら森の中を歩きます。
森の中は鹿の足跡だらけです。
膝くらいまでは積雪があります。
気温が上がり、昨夜積もった雪は水分を含み木々も重そうです。
あちこちで枝をしならせ雪を落としています。
その度に雪煙があがります。
陽の光を受けて森中がきらきらと輝いています。
じっと耐えた雪のあとは動物も植物も躍動しているようです。
モノクロームの世界
南岸低気圧が来るとようやくしっかり雪が降ります。
そして本格的に雪が降るとモノクロームの世界へと変わります。
普段は藍や碧の西湖も鉛色に変わります。
森を歩いても湖畔を歩いても動物の足跡はありません。
生き物の気配はなく、ただ静かに雪だけが降っています。
その中で雪を踏む自分の足音と息遣いだけが聞こえます。
動物達は木や岩の陰などに隠れて、じっと雪が止むのを待っているのでしょう。
生き物としての正解は「家でじっとしている」なのかもしれません。
でもやはりたまにしか降らない雪ではウキウキして外へ出てしまいます。
夕方、雪が止みました。
鹿の群れが山から湖の方へ降りていきます。
動物達が動き出したようです。